富士フイルムのカメラには、APS-Cセンサーを搭載するXシリーズと、大型センサーを搭載するGFXシリーズの2つのラインがある。それぞれマウントや設計思想、担っている役割は異なるが、フィルムシミュレーションといった画質面の設計は共通している。同社製カメラを使用していく上で大きな魅力となっているこの画質面については、フィルム製造に関わる蓄積や歴史を背景にした色再現の良さで定評があるが、しかしその内奥に踏み込んで詳しく語られることはほとんどなかった。今回、この画質設計を担う開発者お二方に詳しくお話をお伺いする機会を得た。後編となる今回は、新しいフィルムシミュレーションを設計していく時の考え方や、既存フィルムシミュレーションのポイントについて聞いていった。
フィルムシミュレーションのつくり方
——新しいフィルムシミュレーションをつくろう、となった時にシミュレートするフィルムが存在しないこともあるかと思います。言い方を変えれば目標が不在の場合ですね。そういった場合にはどんな考えを基準にするのでしょうか? 例えば日本的な考えがベースになるのでしょうか、あるいはワールドワイドな視点をベースにするのでしょうか?
入江 :ワールドワイドを知る者が社内におりますので、そういった意見を踏まえつつ議論を重ねましてベースをつくります。あくまでも私のイメージになりますが、日本人的発想を根幹に設計したものがクラシックネガ、ワールドワイドな視点で設計したのがクラシッククローム、という印象になります。
——言葉にすることは難しいですけれども、何となく分かる気がします。
入江 :設計時よりも評価する際に、発想や視点がどうしても、我々自身が住んでいる日本に寄ってしまいますので、その度に「ハワイの空を想像しろ」とお互いに言い合ったりしています。
——フィルムシミュレーション開発時に場所をイメージしてチューニングする、といった、例えばデザイン時に用いるイメージボードのようなものはあるのでしょうか?
藤原 :イメージボードはないのですが、グラフジャーナリズム関連の写真集を見てイメージを固めました。
——富士フイルムのカメラには、他社のように自動で行われる階調補正系の機能がありません。その理由はどのようなところにあるのでしょうか?
入江 :シーン認識オートモードなどでは例えば逆光時などに階調を変えているのですが、我々には「できるだけ18%グレーという基準を動かさない」という考え方があります。これは写真の明度の基準となるもので、露出の基準として18%グレーという考え方がある、というのはフィルム時代から写真を嗜んでおられる方であれば、皆さん一度は耳にしていたり、知識や経験として理解されている方もいらっしゃると思います。
簡単に効果を出したい場合、この18%グレーという基準を動かさざるを得ません。ですが、今お伝えしたようにこれを動かすことはしたくない。そのため他社さんのような自動階調補正系の機能は搭載していない、というのが答えになります。あくまでもトーンコントロールでは18%グレーの基準は動かさず、ハイライトとシャドーのトーンを調整する機能としています。
ですので、シーン認識オートモード以外で、どうしても動かしたい場合は露出とダイナミックレンジで調整してください、という考え方になっています。
——富士フイルムのカメラには、階調補正ではなくダイナミックレンジコントロールという特徴的な機能があります。GFXシリーズとXシリーズでダイナミックレンジ100%・200%・400%で同じシーンの撮り比べをしたところ、GFXシリーズで撮影したものの方がより自然に見え、Xシリーズではコントラストの眠さがやや強調されていくように感じられました。これは画づくりの違いによるものなのでしょうか? それともセンサーの実力や特性の違いによるものなのでしょうか?
入江 :順を追ってお話しなければなりません。
まず、測定データ的にはGFXシリーズとXシリーズでは全く同じになっています。ただ、我々も「データ的には同じなのに何故か見た目が違うな」という認識をもっています。
次に、ハイライト側のダイナミックレンジの設計についてです。前提としてGFXシリーズとXシリーズでは同様の設計を行っています。ですので、センサーサイズが大きいから白飛びしにくい、というイコールの関係があるわけでは決してありません。そこを変えてしまうと画像から受ける印象そのものが大きく変わってしまうからです。
弊社ではGFXシリーズもXシリーズも共通の設計思想に基づいて開発していますので、ハイライト側のダイナミックレンジについてもGFXとXシリーズでは全く同じになるように設計しています。
話を戻しまして、同じデータ値、同じダイナミックレンジの設計をしているのに、ダイナミックレンジのコントロールを変更した際に、XシリーズとGFXシリーズで何故写真としての印象がわずかに変わってしまうのか? については分かっていません。
個人的にアタリをつけていることとしましては、先程お話しましたGFXシリーズは特にレンズ性能が優れており、MTFが高くなっているので画像設計側でシャープネスの処理をそれほどかけていない、という部分につながるのですが、レンズ性能の差がベースにあって、画像処理で調整を控えめにしていることが何か影響を与えているのではないか、と考えています。
画像処理で何か調整を加えるということは、いわば「無理をしている」ということでもあります。これがノイズに効いてくるわけです。簡単に言えば、シャープネスを強調するとノイズまで強調してしまうことになるということです。するとシャドー側が荒れてしまいますよね。こう言った「無理」が画像全体の印象にも影響を与えているのではないか、というのが個人的な推測になります。
センサーの大きさはもちろんですが、44×33サイズのセンサーに最適化したレンズ光学系をつくり込んでいこう、という狙いが良い方向に働いたのだろう、と考えています。
それぞれのフィルムシミュレーションの印象から
——さいごに、各フィルムシミュレーションについて、私見を交えながらお聞きしていきたいと思います。まずはPROVIAから。私個人としてはデフォルトの状態は「硬い」という印象があります。
入江 :写真を長年嗜んでいたり、見たりしてきた方からは、ご指摘のとおり「硬い」という意見が多く、デジタルから写真をはじめられたという層からは「ちょうど良い」といった意見が多い傾向があります。
パッと見て、ひと目で「綺麗」と感じられる最大公約数を狙ったのがPROVIAになります。ちなみに、ではございますが、私もデフォルトでは「わずかに硬い」と思ってはいます。
——私はPROVIAを使う時は、シャドーとハイライトをどちらもマイナス1にするところからはじめています。
入江 :では、カラーもマイナス1ですか?
——よくご存知で。
一同 :笑
——ちなみにですが、個人で撮影する場合にはPROVIAはほぼ使いません。作例などで紹介する時用に、富士フイルムの標準となる表現だから、という意図でPROVIAでの再現を確認することはあります。が、普段カラー写真を撮る際には「Pro Neg.Std」を常用しています。ただ、これだと印刷媒体に載せたり、パッと見た際の印象を良くしたい場合には、期待よりも少しくすんだ表現になってしまいますので、用途によってはよりクリアな印象があるPROVIAを選ぶことも、もちろんあります。
さて、続けてVelviaについてお聞きします。実はX-T1の時にあまり良い印象を持っていなかったこともあって、普段はあまり使っていないんです。ですが、最近X-T4の世代で使ってみたところ、“色が飽和しそうでしない”という印象があり、以前と少し違うような? と感じました。
藤原 :Velviaは、X-Pro1やX-T1の世代までだと超高彩度な被写体で色飽和が起こりやすい、扱うのが難しいフィルムシミュレーションでしたが、X-Pro2以後は処理を変えていまして、フィルムシミュレーションの中でも最も進化・進歩した画づくりとなっています。
入江 :さらに言えば、カラークロームエフェクトを搭載したカメラでは効果を「弱」であっても入れてさえいただければ、色の深みがグッと増して、より深いベルビアを楽しんでいただけると思います。
——私はX-Pro2のユーザーでもあるのですが、今お伝えしたように個人的にはあまりVelviaが肌に合わないと思っていました。しかしX100VやX-S10のレビューでVelviaを試したところ「あれ? こんなに良かったの?」と驚いた記憶があります。これにはカラークロームエフェクトも効いていたのですね。
入江 :銀塩のベルビアの再現に対して、デジタルのVelviaができていなかった部分のひとつが「色の深み」の部分になりますので、カラークロームエフェクトを適用していただくことで、より理想のベルビアに近づけることができます。
——最新世代のカメラで改めてVelviaを観察してみたところ、マゼンタとシアンの使い方が上手いなと感じました。特に緑の影の再現にシアン味があり美しい表現ができていると思います。
入江 :ありがとうございます。弊社では「Velviaの緑のシャドウは青くあるべき」という理念がありますので、狙いどおりの特性になります。
——興味深いのはPROVIAの彩度やトーンなどをいくら調整してもVelviaの再現にはなりませんし、逆にVelviaをどのように調整してもPROVIAになりません。ですので、本当にフィルムを詰めて撮影しているかのような気持ちになります。
藤原 :どのフィルムシミュレーションについてもただ彩度を調整しただけでは他のフィルムシミュレーションの再現にはなりません。というのも、それぞれの色のバランスをそれぞれのフィルムシミュレーションごとに調整しているので、仮に、ある色が同じように再現できたとしても他の色は違って表現されますし、カラー設定を同じにしても色再現は異なるようになっています。
入江 :そこは我々のこだわった部分のひとつで、それぞれのフィルムシミュレーションにはそれぞれ別の表情を持たせています。実際にカメラに詰めるフィルムを変えた時と同じように異なる表現を楽しめるようにしているんです。
——明度によってフィルムシミュレーションごとに色の傾きが異なっているように感じていますが、そういう設計意図があるのでしょうか?
入江 :はい。すべてのフィルムシミュレーションで明度ごとの色の傾きは違います。
藤原 :すべて3次元で色が滑らかに変動するようにこだわって設計しています。
——それで、富士フイルムのカメラはハイキーやローキーなど露出の程度によって異なる表情を見せていたのですね。長年の疑問がいま解消されました。他社のカメラでは露出変化に対して色味の変化が少なく、イメージを安定的に掴みやすいと感じていたのですが、富士フイルムのカメラでは、そのコントロールが難しいと感じていました。ちなみに、ですが露出に対する色の動きはPRO Neg.系は直線的にしているのでしょうか?
入江 :PRO Neg.系も直線ではありませんが、素直で扱い易い特性にしています。
——ASTIAについて、個人的にはかなり彩度が高めで、かと言って彩度を下げると難しさが出る、と思っています
藤原 :ASTIAは人物と風景の彩度バランスが良くなるようギリギリのところを狙って設計していますので、あまり画質設定をイジらない方が良いと思います。
——黒白の表現についてお聞きします。フィルムシミュレーション「ACROS」と「モノクロ」ではグレーのトーンカーブが全く違うことはもちろんなのですが、色に対する感度特性も、ACROSとモノクロではかなり異なっているという実感があります。デジタルライクなモノクロに対して、フィルムライクなACROSという印象です。
入江 :フィルムシミュレーション「モノクロ」ではPROVIAをベースにグレースケール化していますが、「ACROS」ではフィルムの分光感度曲線を参考に特別なチューニングを行って、色に対するグレーのトーンを再現させていますので、一般的なデジタルカメラでのモノクロモードとは異なる表現になっています。
——センサーの赤に対する感度がHαの辺りまで伸びていることも影響しているのでしょうか?
入江 :センサーの感度特性をHα以上の長波長まで伸ばしているのは星景のためなんです。
——星景用だったのですね。オーロラ等を撮った時に明らかに綺麗な表現が出来るとは思っていましたが、星景以外にも肌色を上手く表現するためにHα辺りまで透過させているのだと思っていました。
入江 :普段の撮影領域で不要な波長なので、扱うのが難しいんですよ。
藤原 :650nmあたりでカットしてると設計は楽なんですけどね。
——お願いだからカットさせてくれ、という感じでしょうか?
一同 :笑
——変えたいけど変えられないというものはたくさんあるのでしょうか?
入江 :今だからこそ、という点では色々とありますが、例えばハイライトとシャドートーンのプラスとマイナスの表記についてですね。
写真をやっていた人にとっては当たり前のこととして、プラスにすると硬くなる、というイメージで設計していたのですが、ビギナーの方からは、「シャドー側を明るくしたいのに、プラスにすると暗くなるってどういう事?」という反応があります。画像としては“プラスにすると明るくなる”で間違ってはいないのですが、それだと写真の常識とは逆で、かえって混乱してしまう……。
——私もその罠にハマって悩んだ1人です。ところで、設計者であるお2人からみた、オススメのフィルムシミュレーションがあったら教えて下さい。
入江 :私がメインで使っているのはPROVIAで、ハイライトとシャドーをそれぞれ、マイナス1、カラーとシャープネスもマイナス1、カラークロームエフェクトは弱に設定して普段づかいをしています。
これでちょっと派手だなと感じた時はPRO Neg.Stdでカラーをプラス2にします。この設定は、パッと見で印象的なところと、ずっと眺めていて心地良い感じのちょうど中間という設定だと個人的には考えています。
——PRO Neg.Stdでカラーをプラス2! すごく共感します。これこそがスタンダードだろ? と勝手に思っていました。
入江 :他のモードで言えば、クラシックネガでグレイン・エフェクトの粒度を大にして、強度は強に、そしてシャープネスはマイナス側の最大にすると「映え」る感じがします。
他には、ETERNAブリーチバイパスですね。これはフィルムの“銀残し半分”に相当する設定にしていますので、“写真作品としてのブリーチバイパス”を期待している方からすると、少し緩い設定かもしれません。もし“写真作品としてのブリーチバイパス”のようにしたい場合は、トーンコントロールのシャドーをプラス3、ハイライトをプラス1、カラーをマイナス4にすると再現が可能です。考え方としてはトーンを硬く、色を薄く、ということになります。
——X-S10などの最新世代を手に入れなければなりませんね。ところで、フィルムシミュレーションの名前が開発当初と終盤で変更になったりすることはありますか?
藤原 :あります。例えばクラシックネガは、当初は“スーペリア”でした。が、様々な都合により名前が変わることになりました。
入江 :その一方でACROSについては最初から最後までACROSでした。
——富士フイルムとして、「色の深さ」というのはどのようなものと考えているのでしょうか。というのも、「深い色」という表現を我々は用いることがありますが、その一方で明確に深い色を説明せよ、と言われると非常に困難なものだと思っているからです。設計するにあたって論理化・言語化が出来ていれば教えていただけないでしょうか?
入江 :我々は色の深さとは“色のトーン”のことだと考えています。
藤原 :私個人としても“色の深み”とは“階調性”だと考えています。明るさの階調性、色相の階調性、彩度の階調性。それぞれの階調性がちゃんとスムースな連続性を持って繋がっていること。それが色の深みを表現しているのだと捉えています。
例えば「深い赤」というのは単純に「暗い赤」でも「濃い赤」というものでは表現出来ず、のっぺりとした平面の赤になってしまします。そこに階調があることによって、初めて赤い色の“深み”を感じることが出来ると考えているんです。
——そういった思想があったからこそ、カラークロームエフェクトが誕生したということでしょうか?
藤原 :はい。カラークロームエフェクトは濃い色に対して、明るさと彩度にコントラストをつけることで、色の“深み”を表現しています。単純に濃い色の明度を下げる処理というわけではありません。
入江 :私も藤原と同様に、色の深みとは相対的なものであると考えています。相対的というのは階調性という繋がりの中で表現されるものなので、階調性を大切にしています。
一般的に「深い色」という概念は、「暗いけど色が濃い」もしくは「色が濃いけど明るくない」という色について、「色が深い」という表現であらわしています。しかし、画面すべてがその色で満たされてしまうと立体感が失われ、ただ「暗い色」という状態になってしまいかねません。しかし、そこに階調性が加わると、同じ色であっても“深さ”を表現できるのだと考えています。
——お話を伺っていて、「画質」を立体的なものとして捉えていることがとてもよく伝わってきました。設計から製品化に至るまでのプロセスでは、一定の数値化した評価軸が重要な役割を果たすと思いますが、一方で画質という立体的なものを数値化することはとても難しいことだろうと想像します。
入江 :はい。立体は切り取る面によって見え方が変わります。偏見をなくすために数値化・データ化したのに、見る方向によっては偏見が生まれてしまうというジレンマや難しさがあります。
先ほどフィルム開発陣の意見を仰いだとお伝えしたとおり、私たちは銀塩の専門家ではありません。しかし銀塩フィルムを開発していた部隊から様々な意見やノウハウを引き継ぐことが出来ましたので、画像に対する心地よさとは何か? という漠然とした問に対して主観的なものと数値的なものを構築することが出来ています。仮にそういった銀塩の歴史がなかったとしたら、これまでお話したような考えを持っていなかったかも知れません。そうした意味でも乳剤会社としての、弊社の歩んできた歴史や蓄積をとても有り難いものだと思っています。
ただ、デジタル世代では、語弊のある言い方になりますが、化学と科学の世代と比べて追いつくことに関して言えば容易になったと思います。そんな時に「どんな思想をもって向き合うか?」という部分にこそ、弊社が取り組んできた研究と蓄積、歴史といったノウハウが息づいているのだと考えています。
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